今日は、65回目の長崎原爆記念日。
「生きる」という時間を重ねていくと、この日がどんな日か、ってことが、よくわかってきます。
そんな大切な日に、「諫早駅周辺整備計画策定委員会」の視察を組むなんて…と、ちょっと諫早市にぼやきつつも、今日は朝から鳥栖駅と久留米駅の視察に出かけてきました。
視察の件は、後日ご報告するとして、今日はちょっと感動した事を1つ。
午前10時30分に鳥栖市役所に到着し、会議室で新鳥栖駅について説明を受けていたその時、サイレンが鳴りました。
突然のことで、誰もが一瞬???だったのですが、時計を見ると、11時2分。
会議室にいた全員が言葉を交わすことなく立ち上がり、黙とうを捧げました。
視察に出かけるバスの中で、行程表を見ながら、11時2分に祈りを捧げる事は無理だろうな…と思っていたので、サイレンが鳴り、その場にいる人全員で祈りを捧げる事が出来たのは、本当に感動的でした。
65年前の今日、1発の原子爆弾で、街は廃墟と化しました。命を絶たれた人、親を失った人、子を失った人、傷を負った人、そこはまさに地獄絵図だった事でしょう。
しかし、65年後の今日、新幹線に絡めた街づくりに頭を悩ませつつも、明るい未来を思い描き、前進する私たちもいます。
それを、人間の強さとみるか、弱さと見るか、前向きと見るか強欲と見るか…。
その感じ方は人それぞれでしょう…。
でも、忘れちゃいけない事があります。
それは、横たわる歴史から目を背けちゃいけないってこと。そしてそれを伝えていかねばならないってこと。
原爆の実体験を語れる人がいなくなる時代が、もう間もなくやってきます。私たちは、そんな時代へバトンを渡す引き継ぎ世代です。
未来の夢を語るために、過去の歴史もきちんと語り継いでいきましょうね。
それが、今を生きている私たちの使命だと思います。
暑い中の視察、お疲れ様でした。
私は市が主催する「平和を考えるつどい」と
原爆記念日の前日に行われた
「KTN 原爆・平和展 重松清トークライブ」に
行ってきました。
「昭和20年8月9日におきたことではない。
そこから始まっているものだ。」
「戦争を知っている人を知っている我々世代は
今、実際に聞けることの幸せを感じて
戦争を知らない人しか知らない世代に
バトンのように引き継がなければならない。」
「大人になったら平和教育がなくなる。
自分で見つけるしかない。」
岡山県出身の重松さんにいただいた言葉です。
長崎県出身の私達だからできること・・・
いろいろありますね。
あの日起こったことを想像し、あの日に思いを寄せる。
とっても大事なことだと思いました。
美詠さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
私たち世代ができる事ってなんでしょうね。具体的にアクションが起こせたら…なんて思ってるんですよ。語り継ぐ事が大事ならば、被爆者の方の実体験を、私たちがまずは受け止める、そして次世代に語り継ぐ…。そんな具体的なアクションが必要になってくるのだと思います。
平和論を子どもたちに唱えても仕方ないですよね。人々の悲しみを、辛さを語り継ぐ事が大事なのではないでしょうかね。
長崎に生まれ、暮らす者として、子を持つ母として、何かできないかと、ここ数年思いは強くなるばかりです…。