クリスマスイブの西日本新聞の朝刊に嬉しい記事を見つけました。
この冬も「サンタのタクシー」の話題が届く。車体にトナカイやモミの木などが描かれ、運転手はサンタクロースの格好をしている。
〜中略〜
サンタのタクシーではないが、サンタを演じた運転手もいる。雪のクリスマスイブ、札幌の運転手が乗せた男性は長い出張を終えた小樽の人だった。「娘への贈り物を」と言われて店を探し、買って駅に向かう間に列車の運休を知る。携帯電話で帰りが遅くなることを告げると、幼い娘は泣きだした。
「サンタのソリに乗せてもらうから」。そうなだめた乗客は運転手に「頼む。サンタ役をやってくれないか」。携帯を渡された運転手は「メリークリスマス、ホッホッホッー!お父さんを連れて行くから待ってるんだよ」。小樽の住宅街に車を止め、女の子の笑顔を見届けたそうだ。
この話は一年前に北海道新聞に載り、日本新聞協会が募集した「ハッピーニュース」のひとつに選ばれた。今日は各地でサンタが忙しい。
タクシーの運転手さんの温かい話を聞いたり見たりする度に、とても嬉しくなります。
一般的なタクシーの運転手のイメージとして、「愛想がない」とか「怖い」と言うことをよく聞きます。確かに、中にはそのような運転手がいることも否定はしません。
でも私が知っているタクシーの運転手は、みんなとても温かいハートを持った人ばかりです。人と接するのが好きでなければ、この仕事は勤まらないのですから…。
子育てタクシー協会でも、クリスマス企画で何かやってみようかな。子育てタクシーには乗らなくても、そのタクシーを見かけるだけで、子供たちがワクワクドキドキするようなタクシーが街中を走っている…。日本中の子供全てが少しでもクリスマス気分を味わえるように、タクシーとして何かができるかもしれない…、そんな事を思った新聞記事でした。
子供たちが「大きくなったらタクシーの運転手さんになりたい!」と言ってくれる様に、サンタさんのように大きな袋に温かい気持ちを詰め込んで、街中を颯爽と走るタクシーを目指そう、改めてそう思ったクリスマスイブの夜でした!
タクシーママ、メリークリスマス!!
バイカー修だよ!
今日の話はこころあたたまるなあ。子どものころ、バンドマンだった父がとんがり帽子とケーキを買って来てくれたっけ。
今思うと、油っぽいまずいケーキだったけど、嬉しかったなあ。
タクシーママはアランの「幸福論」を読んでいるそうだね。
それは幸福を定義するため?自分が幸福なのかを確認するため?それとも幸福なんだと納得するため?
アランの言葉で答えよう。「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意思のものである」
タクシーママ、常に逆説を対比する。これ哲学的思考のあり方だ。正しいと思われるものは肯定する。これあたりまえ。でもね、否定的なものも肯定することが大事だよ、タクシーママ。
「音楽が好きになりたいものだ」と言う。しかし、なによりもまず音楽をやってみることだ。君は選んだ。まず、やってみるという選択を。世の中にはやらずして文句ばかり言う人のいかに多いことか!幸福だから笑うわけではない。笑うから幸福なのだ。この逆説に納得できるもののみが、笑え、そして幸せになるんだよね。そうだよね。タクシーママ?
おはようございます。バイカー修さん。たくさんのコメント、ありがとうございます。私が突然「アランの『幸福論』読んでます」って言ったので、びっくりされてますよね?
幸福を定義するためでも、確認するためでも、納得するためでもなく、「柔軟さを失わないため」に読んでます。
たくさんの言葉と価値観に自分の身を沈めることで、どんな時にも笑いを導き出し、幸せをつくりだしていけたらいいな、と思って。
しなやかに奔放に。いつも通りの内田です。元気ですよ〜!