母がリウマチを患って、大分県の病院に入院した時、私は大学生で、東京に住んでいました。
帰省するたびに、辛そうにしている母の姿を見ていた私は、治療に専念するため一人、大分の病院に入院する覚悟を決めた母に対して、「頑張れ」のエールを送ることしかできませんでした。携帯電話もメールもなかった頃でしたから、ほぼ毎日のように手紙を書いては送っていました。「頑張れ」の言葉を必ずつけて。
母は頑張りました。リウマチで変形していく体を、零下何十度の冷凍室に放り込み、痛みや辛さを堪え、また娘達2人と暮らせることを願って頑張りました。
ですが、結果的に、その当時画期的治療法だといわれていた冷凍療法は、母の内臓にダメージを与え、母は帰らぬ人となりました。
今も、心のどこかで悔やんでいます。母に「頑張れ」と言い続けたことを。
「頑張れ!」のエールは時に人を強くさせたり励ましたり、背中を押したりします。私もたくさんの方に「頑張れ」と言われ、その言葉に背中を押され前へ進む事ができたと思っています。もちろん、私もたくさんの方に「頑張れ」とエールをおくったり、みんなで気持ちを1つにしたい時など、「頑張ろう」とたくさん言ってきました。
でもね、最近母の事を思い出すようになって、「人間、がむしゃらに頑張らなくてもいいときがあるのではないか」と思うときがあります。
立ち止まっても、投げ出しても、振り返っても、弱音を吐いても、それはそれでいいのではないかと。
何をしても上手くいかなかったり、何をどう考えてもポジティブに考えられなかったりする時ってあるもの、ね。
「時は過去から未来に流れているのではなく、未来から今に流れてきている」って事をある人に聞きました。
目から鱗の発想でしょう?
ならば、今のこの辛さや苦しみは、未来の夢からつながっている、流れてきているものだと思えば、その辛さや苦しみを乗り越えることができそうな気がしませんか?
脳天気だなー、てるみは!と友人達からは怒られそうですが、人間40年も生きてくると、それもジェットコースターのような山あり谷ありの人生を生きてくると、どこかで力を抜いて脳天気にならざるを得ないんです。
みんなに助けてもらった人生だから、今度は私が何かお返しを…と思ってますが、こんなブログでしか元気を分けてあげるとしかできないけど、元気出してくれたら嬉しいなぁー。